『モノを大事にする』意味を履き違えている
モノを大事にするのは当たり前。
しかし、残念ながら我が家の人たちは意味を履き違えているようだ。
下の写真はお義父さんの仕業。
踏んづけたか何かして壊してしまったライター。
先の方の配線を何にかして、火花だけ出るようにしたんだろう。
火花さえ出れば、ガス溶接なんかの着火には使えるからね。
これはモノを大事にしている事になりますか?
ウチの長男は鉛筆をやらた短くなるまで使う。
使いにくいだろうから、もう新しい鉛筆に交換すれば?と言ってもまだ使えると。
それは大事に使うという事で非常に良いことだ。
しかし、その話をした後、彼は鉛筆で机を叩いてビートを刻み始めた。
鉛筆を叩きつけたら、中で芯が折れてしまうじゃないか!
完全に大事にする事の意味を履き違えている。
こういう事がウチは多すぎ。
車だってそう。
直しながらならまだまだ乗れるってお客さんにはやたら言う。
そりゃあ、治せばいくらでも乗れるさ。
確かに出費も買い換えるよりは遥かに安い。
けれど、どうせ次から次へと壊れて来ますよ。
その度にお金もドンドン出て行くんですよ。
愛着が合って車を買い換えないのなら、それは大いにお金を掛けて直しながら末永く乗ってもらいたいです。
それに愛着があるんだから、大事に乗るでしょうしね。
しかし、ただ買い換えるお金が無いから買い換えないって人は違う。
私だって車なんて買い換えるお金なんて無いです。
そんなの借りるに決まってるんですよ!
お金がないお金が無いって言って、壊れる度に何万もお金を出して直しているより、しばらく壊れないぐらいの車を買った方が遥かに良いと思うんですがね?
買い換えれない人って、たいして愛着もないのに、何回も修理してお金を掛けちゃったから、何かその車が凄く価値のあるものだと勘違いしちゃうんじゃないでしょうか?
客観的にみると、なぜそんな車にそんな大金を出せるのかが、私には理解不能です。
『モノを大事にする』ってのは、『勿体無い』とは同じじゃないですね。
勿体無いから直して使う。
そうじゃなくて、もっと大事に丁寧に使って欲しい。
それでも壊れてしまったんなら仕方が無い。
買い換えるなり、修理に出すなり考えましょう。
けど、間違いなくあのライターは危ない。普通はゴミだわ…。
お義父さんは完全に意味を履き違えている代表者です。
こうして、我が家はゴミが増えて行く…。
ゴミコレクション、アッしましょうか?